科学的根拠とは何なのか!
「科学的根拠」という言葉が頻用されています。しかし、「科学的根拠」とは何なのかという点について考え、明確な定義をもって「科学的根拠」という言葉を使っている人は、一体どの位いるのでしょうか。
生理学、化学、栄養学なども含めた医学での研究の方法として確立しているほぼ唯一のものは、適切な対照(コントロール)と比較してその実験や調査の結果を評価するという方法であります。
実験や調査の結果を対照と比較する上では、その結果のどの点(エンドポイント)について比較するのかを設定することが必要です。例えば、Aという薬が糖尿病に効くかどうかを調べた調査において、糖尿病の経過のどの点について比較するのかを設定しなければ比較はできません。つまり、一時の血糖値なのか、一定期間の血糖値の推移なのか、糖尿病性網膜症や糖尿病性腎症などの合併症の発症率なのか、入院率なのか、死亡率なのかといった点のどの点について比較するのかを設定しないと評価できません。
上記のことを踏まえた上で次のことを考えてみましょう。
ある食品や薬剤が「健康に良い」もしくは「カラダに良い」ということを評価するにはどうしたら良いのでしょうか。比較をする前に、設定する必要のあることが山のようにあるのを理解できますか。たとえば、どうやって適切な対照(コントロール)を設定するのか、結果のどの点(エンドポイント)について比較するのかなど、実験もしくは調査の方法を詳細にかつ適切に設定する必要があります。
もちろん、その設定のしかたによって、比較の結果は変わってきます。当然です。
また、比較する点(エンドポイント)が、人間もしくは動物にとって意義の高いものでなければ、その研究の意義自体が低下してしまいます。わかりますよね。具体的に言うと、Aという糖尿病に対する薬の効果を比較する際、例えば投与後3時間後の血糖値のみを比較する点(エンドポイント)に設定して比較した結果において、Aという薬の有効性が示されても、その後の糖尿病の経過にAという薬が影響を与えているのかどうかについては不明です。
ここで述べている、意義の高いエンドポイントはTrue Endpoint (真のエンドポイント)、意義の低いエンドポイントはSurrogate Endpoint ( 代理のエンドポイント)と各々呼んだりします。
ここまで、読まれた方は、もう気づいているはず。何をかって?
多くのメディアや巷で、もてはやされている「科学的根拠」という言葉の多くが、曖昧かつ意義の薄いものであることに。
「健康に良い」とはどういうこと?
「カラダに良い」とはどういうこと?
「科学的根拠」と言われて紹介されるものは、True Endpoint (真のエンドポイント)についての結果ではなく、Surrogate Endpoint ( 代理のエンドポイント)に対する結果である場合が比較的多いです。
つぎに多くの人が勘違いしているであろう点について説明します。もう気づいている方もいるでしょう。
科学的事実という言葉もよく使われますが、事実とはどういうことを言うのでしょう。事実とはもちろん客観的なものでなければいけないですよね。解釈によって内容がかわってしまうようなものは事実ではないですよね。
そうです。科学的実験や調査における事実とは、その実験や調査の「生データ」のみなのであって、そこから引き出される結論ではないのです。
たとえば、Bという食品を毎日食べると、血液の中で、リンパ球が産生するCというサイトカイン(免疫を調節する血液中の因子)が増加するという結果が仮にあったとします。もちろん適切な対照(コントロール)と比較してです。この場合、食品Bは免疫力を上げるので「健康に良い」または「長生きする」と結論づけていいのでしょうか。大丈夫ですか。
もうわかりますよね。これは「科学的事実」ではないですよね。
この実験での結果、または事実は、
「Bという食品をコレコレこういった方法によって実験調査したところ、食品Bを△日間毎日食べた人たちは、それを食べていない人たちと比べて、血液中のリンパ球が産生するCというサイトカイン(免疫を調節する血液中の因子)が増加した」というコトだけです。
この結果から、「病気になりづらい」だとか「長生きする」などと結論づけてはダメです。
でも、「免疫力が上がる」という結論は言っても良いのでしょうか。どうですか。
もちろん、これもダメです。なぜかって?
「免疫力が上がる」って、どういう意味ですか。こんな大雑把なものを定義はできません。定義できないものは否定も肯定もできません。
科学研究の結論は、その結果と違って、科学的である保証はありません。主観的、もしくは都合良くねじ曲げて解釈している結論もたくさんあります。
もし、「病気になりづらい」だとか「長生きする」かどうかを正確に調査するのであれば、それこそ何十年もかけて、追跡調査しなければ結果はでません。さらに厳密には、調査に協力してくれた人たちを、ランダムに食品Bを食べている食品B群と食品Bの代わりのプラセボ(食品Bに見せかけた偽物)を食べた群の2群に分けて長期間追跡調査する必要があります。もちろん調査に協力している人たちは自分がどちらの群に属しているのかを知ることはできません。こういった方法で、何十年もかけて調査しないと科学的根拠として、食品Bを毎日食べると「病気になりづらい」だとか「長生きする」などとは言えません。
ここまで、頑張って読まれた方は、もう安易に高いお金を払っていわゆる健康食品を購入したりしませんよね。もちろん、購入するのは個人の自由です。過度な期待をしてお金を無駄にする人や、それを利用して膨大な「お金」を儲ける人を横目でみるのは、正直気持ちが悪いです。元気がなくなります。
もう少しで、終わります。もうちょっとだけ、おつきあい下さい。
そんなことを言ったら、調査なんてほとんど出来ないじゃないかと思われる方もおられるでしょう。この方々の意見は、半分は正しいのですが、半分は間違っています。
新しく認可されている薬剤は、すべてある程度の厳密性で、このような調査を経ていますが、こういった調査はたいへんなので、すべての食品や薬でおこなわれているわけではありません。
しかし、世界には日本の厚生労働省や研究者も含めて(まあ実際には米国が最も多いのですが)、このような手間の掛かる追跡調査を実行して結果を報告している研究グループはいくつもあります。もちろん、報道の専門である大手マスメディアの一部の人たちは、そのような結果を誰でも手に入れることができることを知っているはずです。
では、なぜそのような調査の結果は、テレビや新聞、ネットに代表される既成マスメディアに、あまり登場しないのでしょうか。もう、気づいてますよね。もし、気づかれていない方がいれば、その原因は私の今までの説明の仕方が十分でないためでしょう。
つまり、多くの追跡調査の結果はそれほど人を魅了するようなものではないからです。
最後まで読まれた方の一部は、がっかりされているかもしれません。しかし、科学的研究の結果とは、概してあまりクリアーなものではないのです。普通に仕事をして生活している人たちは、忙しく自分でそんな調査結果を調べたりはできないですよね。当然です。科学を専門にして仕事をしている人だって、自分の専門でないことを細かく調べる時間的余裕は普通はありません。
では、どうしたらいいのでしょう。答えは、簡単ではありまえん。
第一歩は批判的な目を持って、メディアの情報に接することです。正直言って、面白くもないし、気持ちが楽になるわけでもないかもしれません。かえってチョット辛いかもしれません。周りの皆と、健康食品ネタで盛り上がったほうが楽しいかもしれません。もちろん、それは自由です。でも、メディアの情報を批判的な目を持って接することによって得る者が一つあります。
それは、自由に考える機会を得ることです。
もし、興味のある方は、まずは世界で最も多くの調査委研究を司っている米国の国立保健機関であるNIH ( National Institutes of Health )のホームページに訪問してみるのもいいでしょう。
National Institutes of Health (NIH) | Turning Discovery Into Health
忘れていませんよね。
そうです、NIHの報告だって批判的に見ていかなきゃいけませんよね。偉そうな肩書きの人が言っているコトだって同じです。そうそう、科学以外のことだって同じですよね。そうそう、それそれ。
日本語の根拠という言葉の意味は、「判断を成り立たせるよりどころ」もしくは「行動に正当性をあたえる事実」などと国語辞書には書いてあります。ちなみに英語のEvidenceという言葉の意味も「the available body of facts or information indicating whether a belief or proposition is true or valid」というように英語の辞書には書いてあります。この2つの間に大きな差はありません。